伽藍とバザール

こないだ、ブックオフに行ったら売ってたので購入。
伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト


オープンソースについていろいろと書いてあるのだが、
その中でも、私がなるほど〜と思ったのは、ノウアスフィアの開墾。


なぜ、オープンソースという、つまるところボランティアが成立するのか。という話。


ここでは、「贈与の文化」と呼んでいるが、この解説が非常におもしろい。

 未開の地(フロンティア)には、これまで所有者のいなかった土地がある。そこでは人は、開墾(homesteading)することで所有権を獲得できる。つまり、自分の労働を所有されていない土地に混ぜ込み、囲いをつけて自分の地権を守ることによって。


〜中略〜


 この論文の題名に出てくる「ノウアスフィア(noosphere)」というのはアイデア(観念)の領域であり、あらゆる可能な思考の空間だ[N]。ハッカーの所有権慣習に暗黙に含まれているのは、ノウアスフィアの部分集合の一つであるすべてのプログラムを包含する空間での、所有権に関するロック理論なんだ。だからこの論文は「ノウアスフィアの開墾」と名付けた。新しいオープンソース・プロジェクトの創始者がみんなやっているのがそれだからだ。


〜中略〜


贈与文化は、希少性ではなく過剰への適応だ。それは生存に不可欠な財について、物質的な欠乏があまり起きない社会で生じる。穏和な気候と豊富な食料を持った経済圏の原住民の間には、贈与経済が見られる。ぼくたち自身の社会でも、一部の層では観察される。たとえばショービジネスや大金持ちの間でだ。

 過剰は上意下達関係を維持困難にして、交換による関係をほとんど無意味なゲームにしてしまう。贈与の文化では、社会的なステータスはその人がなにをコントロールしているかではなく、その人がなにをあげてしまうかで決まる。

 だからクワキトルの酋長はポトラッチ・パーティーを開く。億万長者は派手にフィランソロフィー活動をして、しかもそれをひけらかすのが通例だ。そしてハッカーたちは、長時間の労力をそそいで、高品質のオープンソース・ソフトをつくる。

 というのも、こうして検討すると、オープンソースハッカーたちの社会がまさに贈与文化であるのは明らかだからだ。そのなかでは「生存に関わる必需品」――つまりディスク領域、ネットワーク帯域、計算能力など――が深刻に不足するようなことはない。ソフトは自由に共有される。この豊富さが産み出すのは、競争的な成功の尺度として唯一ありえるのが仲間内の評判だという状況だ。


ロックと土地所有権〜贈与経済としてのハッカー文化 より


私は、これを見て、
ソフトの世界(仮想世界)の広大な未開の地(フロンティア)に、リチャード・ストールマンら今のオープンソースを引っ張ってきた方々が降り立ち、まさに開墾をし、GNUといういわば法律を制定し、民主主義的な贈与文化を根底として、
それに賛同する人たちがせっせと村を作り、街を作り・・・今、国とも言うべきものを作り上げて来たんだなと思った。


実は今、小さいながらもそういうプロジェクトを仲間内でやろうと企んでいるのだけども、
このメタファ(?)は使えるな。


ちなみに伽藍とバザール、ノウアスフィアの開墾、魔法のおなべはここで全文読める。